「ありのままを受け入れてくれる病院」~後編~ 

《人間らしいから、お父さん好きよ》

 父は中卒で九州から出てきて、私が生まれたころからは家を作業場に機械加工業をしている職人でした。でも、アルコール依存症でしょっちゅう酒を飲み、ギャンブルなんかで1000万円以上の借金を2度もしてしまったような人でした。母親も酒を飲むと酒乱気味になり、父とは喧嘩ばかりしていました。私は母から「あんたがいなければ離婚できるのに」と言われ、「生きていてごめんなさい」という思いを抱きました。でも一方で「あんたがいなきゃダメなの」と言われ、複雑な心境で生きてきました。

 父親は酒の飲みすぎで肝硬変になり、吐血などで何度か入院をしました。最初は近所の病院が通いつけだったのですが、入院していても好き放題をやって嫌がられ、私が協同病院に就職してからは「娘がいるから」とこちらに転院をしてきました。

 協同病院には、入退院を繰り返すアルコール依存症の患者さんが何人もいました。父も同じように、素行の悪い入院患者でした。病棟を抜け出してパチンコ屋に行ったり、勤務中の私をしょっちゅうナースコールで呼び出したり・・・。よくなって退院しては、また大酒を飲んで病院に戻ってくるという状態を、何年も続けました。こんな父を、どうしたらいいんだろう。私は悩みました。病院にとっても、迷惑な患者です。もう治療なんか、しなくてもいいんじゃないかと思ったこともありました。

 ところが、そんなどうしようもない父親に、先輩の看護師たちはいつでも優しく接してくれるのです。酒の飲みすぎで入院し直すという行為を何回繰り返しても、温かく迎え入れてくれるのです。どんなにダメな人間だと思っても、しょっちゅう嫌な思いをさせられても、やっぱり家族です。本当はよくなってほしいという思いが、私にはありました。優しい看護をしてもらえると、うれしいという感覚がありました。でもどうして、こんなダメな人間にそんなに優しくなれるのか。疑問に思っていた私にある時、尊敬する先輩の看護師がこう言いました。

「あなたのお父さん、私は好きよ。だって、人間らしいもの」

その言葉は、私の20数年間の人生観をひっくり返すような一言でした。

〈人間は、正しくなければ愛される価値がない〉

 私はずっと、そう思って、正しく生きようと努力してきました。正しくない父親には、愛情を受ける価値はないと思っていました。けれど、どんな人間であっても、人はそのままで受け入れてもらえる。正しく生きていなくても、それが人間らしい生き方だと思えることもある。だから先輩たちは、どんな患者さんでも、けっして見放さないで看護を続ける。そのことを、先輩は教えてくれたのです。

 この先輩の一言で、父に対する私の気持ちも変わっていきました。たとえどんな父親であっても、そのまま受け入れようという気持ちになっていきました。そう考えると、「大嫌い」という思いが自然となくなっていきました。そして、父親を家族として見守り続けることができました。私が29歳の時に、その父は死ぬ間際まで仕事をしながら、最期は協同病院で静かに亡くなりました。

《がんになってわかったこと》

 協同病院で本当に「受け入れて」もらっていたのは、実は看護師として就職した私自身だったかもしれません。人と接するのが苦手で嫌いで、四角四面な考え方ばかりを持っていた私は、患者さんへの接し方や他の看護師さんたちとの関係の取り方がうまくいかず、苦しみました。就職して何年間かは、嫌な思いをすることが多く、何かというと酒を飲んでまぎらわせずにはいられませんでした。遅刻ばっかりしていたり、二日酔い気味で出勤したり・・・。そんな素行を繰り返しても、協同病院は私を受け入れ、支えてくれました。看護師なのに、みんなから看護され、カウンセリングされてきたようなものです。父親の入院生活と死を通して、「自分は自分らしく生きればいいんだ」と思えるようになったのは、就職して10年近くがたった30代に入ってからでした。患者さんに対しても、共感できるように変わってきました。

 ようやく、「生きるって楽しい」と感じられるようになってきた32歳の時、私自身が甲状腺がんにかかっていることがわかりました。小さいころから「死」について考え、いつも「人の死」を見つめてきた私でしたが、今度は向こうから「死」が近づいてきた感じです。「ああ、人生って面白いな」と思いました。この時私は、「人はいつか死ぬんだ」ということを強く実感しました。だったら、もっとやりたいことをやらなければ、毎日を充実して生きなければだめだと感じました。〈自分は自分のままで、ありのままで生きていけばいいんだ〉と、さらに強く思いました。

 幸いがんは早期で、職場にもすぐに復帰しました。ちょうどそのころパートナーと出会い、「ずっとそばにいてほしい」と言われたことも、前向きに生きようという気持ちを強くしてくれました。トライアスロンに出会ったのは、そんな時です。町の自転車屋さんで勧められ、2週間後にはレースに出ていました。長いレースを泳ぎ、走りきるのは、とっても苦しいでものです。もうやめようと思うこともあります。でも、最後まで走り抜いて完走すると、最高の笑顔になれます。自分もまわりの人も、みんなキラキラした笑顔になります。この笑顔に出会いたくて、私はトライアスロンを続けているのかもしれません。

「人は自分を好きにならないと、人を好きになることはできない」

 若いころからよく言われましたが、私にはその意味が理解できませんでした。でも、今ならわかる気がします。今、私はありのままの自分が好きです。協同病院は私を、ここまで変えてくれました。私を変えてくれた協同病院が、私は大好きです。その病院の一員として看護の仕事をしていることに、誇りをもって生きています。

全日本民医連「看護10ストーリーズ」ー輝くいのちの宝石箱 より抜粋 

川崎協同病院 3階病棟看護師IMさん

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