帰りたい

A氏はタイ人の乳がん末期の患者さんで、これまで何度か受け持ちをしたことがあったが今回は麻薬の量も増えており以前よりも進行していた。

ある日、友人が真剣な顔で「A氏はタイへ帰りたいと言っている。だから帰れないか?」と相談された。今でも他の患者さんから「帰りたい」と聞くことはあるが「タイへ帰りたい」という言葉を聞くのは初めてだった。

A氏に話を聞きにいくと初めてA氏の口から「タイへ帰りたい。母に会いたい」と聞いたのだった。私は先輩や主治医、MSWに相談しタイへ帰れる方法をみんなで探した。日本では生活保護を受けているA氏がタイへ帰国した後どのように生活していけるのか?酸素投与は飛行機ではどのようになるのか?タイでの在宅酸素療法の手配など様々な課題があったが他職種と連携しながらも、やっとのことタイへ帰る手配ができた。

ある日、タイへ一緒に帰る友人と酸素ボンベの使用方法を指導し、日勤の最後の挨拶に行った際「あと少しですね!!」と話すとA氏も「もう少し。ありがと」と嬉しそうに話していた。

翌朝、出勤するとA氏のベッドネームは大部屋から個室に移動していた。A氏は朝方眠るように息を引き取ったという。私は現実を受け入れることができずA氏の部屋に入ることができなかった。チームの先輩に励まされなんとか部屋に入ると、苦しさから解放された顔のA氏がいた。タイに帰るまであと4日だった。

お母さんに会わせたかった・・・あと4日で何かが起こると私は想像していなかった。自分たちの4日とA氏の4日は異なる。癌は目に見えなくても確実に患者さんの身体をむしばんでいる。突然その日が来るかもしれなかったと気づかされた。

記録を遡ってみると「帰りたい」というS情報が記載されているのを見つけた。この記録をもう少し早く見つけていたら4日早く動けたかもしれない。それができたら最後の時間を母国タイで母親と過ごせたかもしれない。私はとても後悔した。

冷静になって考えれば末期の患者さんがなぜ母国へ帰らないのだろうと疑問に思わなかったのだろうか。私がもし他国にいて同様の事態ならきっと日本に帰り家族に会いたいと真っ先に思うはずだ。A氏の本当の気持ちに気づけなかった。きっと私は末期がんの患者さんの恐怖や苦しみを自分のことに置き換えて考えられていなかった。もっと早くA氏に寄り添えたら、自分だったらと考えられていたらもっと早く気付けていたのかも知れない。

どこで最期を迎えるか本人が決める権利があると思う。しかし、患者さんがそれを自分から言えない場合や迷いがあることもある。私は患者さんの最期の時を一緒に考えていける看護師になりたいと思う。そのために、患者さんの不安、恐怖、迷いに気付けるようにしたい。全部理解するのは難しいかもしれないが、「苦しいかもしれない」「こう思っているのかも知れない」「自分だったらこう思うかも知れない」と予測にはなるが考えていきたい。また、時間は限られている。末期がんなどは特に、突然何が起こるか分からない。そのことを頭に入れて1日1日大切に患者さんと向きっていきたい。

(3年目看護師 竹澤Ns/きらり看護発表会より)

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